http://news.livedoor.com/article/detail/8987865/

ビッグダディの記事。
再婚して、ポリシーである「靴下を履かない」を変えた理由について。

(以下、記事引用)

俺にとって、結婚とは「生活スタイルの再構築」にほかならない。三由紀と結婚したことで、身の回りのさまざまなスタイルが変化しつつあるが、靴下も然りだ。確かに、俺はこれまでの人生、はいたときに5本の指の自由さが奪われる感じや、蒸れて臭うのが嫌で、雨が降ろうが雪が降ろうが常に裸足で過ごしてきた。最後に靴下をはいたのは、おそらく小学生低学年の頃のことだろう。

 それが今、毎日のように靴下をはいているわけだが、俺としては極めて不本意である。では、なぜ靴下をはいているのか? それは「譲ってもいいところ」だからだ。

(引用終わり)


なるほどなるほどー
テキトーに見ていた誰かのブログで、「結婚って生活なんだ」、って主張があって。
すんごい納得したのですが、今回のビッグダディ(あ、今はコダカラー清志、って名前で活動してらっしゃるのかしら?)の発言にも、その観点で納得。

わたしとだんなさん、結婚三周年だけど、だんなさんと毎日スペシャルにデートするわけじゃないので、ふたりの間には日常が必要になりまして。。
その、日常生活、に求めるものに、少しずつズレがあって、喧嘩しちゃう。

どうやってすり合わせるか、すごいすごい考えるのだけど、、、、なんだかうまくいかない最近。
今現在は、子どもの保育園入園のために、一時的に別居しているので、なんとかごまかされているけど…
来年四月から、また一緒に生活するのに、うまくやっていけるかなぁ、と、正直心配。

言い方が悪いかもしれないけれど…共働き、ノーキッズなら、まだ、逃げ道があるのかもしれない。
だけど、われわれは三人家族で、逐一要望を聞いてあげなければいけない二歳児がいるわけで。
彼をケアしながら、生活を回すこと。
どちらが何を負担するかということ(家事とか育児とか、ね)を、常に決めなければならなくて、その決定に不満が生じたりして。

ちなみに、コダカラー清志さんによると、結婚生活で譲ったところは、貸し、らしい。


(以下再び本文引用)

もちろん“貸し”があれば“借り”もあるだろう。それが夫婦だ。今は具体的に何かを返してもらうつもりはないが、長い夫婦生活の中で、自分が優位に立つために、この“貸し”となる種を俺はそこかしこに蒔いている。それが将来大きな「感謝」になるのか、大きな「苦痛」になるのか。それは俺にもわからない。

(引用終わり)


う~ん、苦痛、に一票。
他人との生活って、難しい。。。