はじめて逗子にいったのは、ことしの6月。鎌倉と違って街も海も静かで、びっくりした。
北関東育ちの感覚のせいと思いたいけれど、なんとなく、鎌倉と同じようなところ…と思い込んでいた。

これまでの人生、「誰かに会いに行く」を理由に移動することが多かった気がする。
福岡、東京、茨城、名古屋、ニューヨーク、新疆、北京。
会えた瞬間のうれしさ、数時間を占領する幸福感。自分がお金を稼ぎたいと思う理由の一つだ。

「観光のために旅行する」というのは、学校時代だったり、夫との旅行だったりで、やっぱり主体的に取り組む活動ではなかったみたい。
でもそれぞれ、観光名所が主要な目的ではないけれど、ちゃんとその地のきれいなものや建物とか、みんなが大事にしてきたものを見てから帰ってきている。

そんなわけで、逗子も、会いたい人ができたので訪れた。今回は2度目だ。前回は海に足を入れて、今回は沈む夕日を見た。

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逗子に住んでいるのは、がんサバイバーで小説家の男性。Facebookに共通の友人がいて、数年前知り合った。

今回は「癌について話そうよ」というイベントの第1回を開催されるとのことで、お会いしたかったし、テーマが気になることもあって申込みをした。

いろんな経験をされていることと、気に入った場所に住むということと、小説を書いているということで、私は彼にとても興味がある。
それと、癌とともに生きているということ。

去年、一昨年と、癌にかかって亡くなった方が身の回りに多くいた。
中学の同級生(冬期講習一緒だったよね)、剣道部の先生(いつもさぼってばっかりでごめんなさいって葬儀参列してる時も思った)。
そして、中国繋がりで面識を得た、大学のI先輩にF先輩。

誰もかれも、もう会えないということを信じられなくて、信じたくなくて、同じ病気にかかっても生きている人もいることを確かめたい、ような気持ちが私の中にあるような気がする。それであれば参加資格はあるかな、と思ったのだった。






第1回のイベントの参加者は今回は私ひとりだった。

会場は「Umibe Cafe」という名前の、海のちょっと手前にあるお店。広くて明るくてあったかい感じ。
コーヒーの種類がたくさんあって、こぶりなカップにたっぷりと入ったブラックコーヒーを注文した。イベントは、飲み物1杯付。あたたかくておいしかった。
話を聞くことに集中しなきゃと思って、写真は撮らなかった。(ちょっと後悔しているけどまた近いうち行こうと思っている。冬の海はとっても好き。)

「癌について何が聞きたい?」

そう聞かれたけれど、正直なところ疑問の形になっている自分の気持ちがさっぱり探し出せなかったので、その通り伝えた。
そして、親族がかかっているわけでもないけれど、死んでしまった先輩のことを思うと、無関係とはとても思えないと考えていることも。

前半1時間で、癌に気付くことは難しいこと、どうやって治療するのか、なんてことを教えていただいた。
あとは細胞の話とか、抗がん剤治療の副作用や、免疫力の話とか。

自分に無関係とは言いきれないことだと思うので、体験をお聞きできることは、今後いつどこでかは分からないけれど役に立つと思う。こういう機会はありがたいなと思った。

後半1時間は、私の最近の生活について聞いていただいた。自分のことを話していいんだと感じられる時間は、とても居心地がよかった。

何もしない時間を意識しないと持てなくなっていること(移動時間ですら仕事をしようとして意識的に取りやめた話)、つらい気持ちのタイミングで食べ飲みしていたものが苦手になってしまったことなどを話した。きっとそのうちまた嫌いじゃなくなりますよと言ってもらえたのがうれしかった。



前述のF先輩のFacebookには、いつからか、配偶者の方が書き込みを開始している。ご本人がつけていた記録をほぼ毎日アップされていて、時々、写真も一緒に共有してくださる。

葬儀の際、資料室におかれていた分厚いバインダー。すごく見たかったけれど、たくさんの方が参列されていたから、そそくさと通り抜けた。いつか拝見したいと考えていた、あの中身なのかなと思った。

Facebook投稿には、入院先での苦しそうな処置の様子や、おなかにつけたパウチの存在を考慮して服を選んだことが報告されていて、その文章の向こうには今も先輩がいるような気がしてくる。

治療したことなど知らなかったけれど、治療後のご本人に一度だけお会いした。サスペンダーしてる、と思ったことをすごく覚えている。その理由は、奥様の書き込みを見て理解した。

「癌について話そうよ」に参加すれば。
なぜ私が学生時代中国の旅先でたまたま知り合ったこの先輩に、なぜ今もう会えないのか。その理由がみつかって、納得できるような気がしていた。
でも、やっぱりわからなくて納得できなくて、悲しいままだった。わかっても、悲しいままなのかもしれないのだけれど。

14年前の学生時代、異国で知り合った方たちはいろんな形で、知らぬ地での私の生活を応援し支えてくださったと思っている。私にとって親族のような存在。
F先輩は卒業生団体の連絡窓口をしている私に、日中を行き来するタイミングを知らせてくれていて、それがとても誇らしかったのに。私の役割は一つ、永遠になくなってしまった。



帰り道は暗かったので、行きの車窓で目にしたたくさんのススキは見られなかった。

ちなみに、私自身は4年前に子宮頸がんの検診で「軽度異形成」になっている。今回ブログを見返すまでいつ診断受けたのか忘れていた。

ことしも引き続き、3か月~半年に一回の検診を受けてます。
金額は大したことないのだけれど、検査の日と結果受け取りと、二回の予約を入れて足を運ぶのが仕事の具合によっては大変、と感じてしまう。