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2021年もラストひと月。12月も、3分の1がもう終わる。
私はというと、仕事を少しお休みさせていただいています。

フリーランスになることを決めたのが約4年前、そこから今まで、目の前にあるチャンスをつかみ取ることに夢中になっていた。
気が付けば子供は9歳、私は36歳。これから先何をしたいのか、考える時間が欲しかった。
…のかもしれない。

この先の予定がまだ定かでないので、つまらないことしか書けないのだけど。来年早々には再度、スタートを切りたいなと考え中です。

この2週間ほど何をしているかというと、
  • 放置していたブログをちょっとだけ整理したり(となりの中国人
  • noteを書いたり(まっかちん(山浦まさか)のnote
  • 読みかけだった本を読んだり、読めていなかった本をかじり読みしたり
  • 映画を複数本観たり
  • 千葉の友人宅に遊びに行ったり
  • 10年間知り合いなのに一度も二人でゆっくり話したことのなかったママ友さんと話したり
  • 息子のたちゅごんのためにカレーを作ったり
  • 夫のはみさんのために肉を煮込んだり

日常の幸せ、のようなものを噛みしめながら、肌と髪の毛の手入れ、そして毎日中国語の記事を読むことを日課にしている。

私の欲しかったもの

思い返せば高校、大学、就職、家庭生活と、誰かに認められたいとずっと思っていた。
恋人ができれば、仕事があれば、知識があれば…、と、認められるための手段を獲得しようともがき続けていたように思う。

子供に関しては、いやもう子育て10年目なのにいまだに苦手で、子供がいれば自分の人生が満たされるとは当時も今も塵ほども思わないのだが。
「私子供好きじゃないから産めない・育てられない」という人に、大丈夫よといいたい。(なぜ山浦が子供を産んだのか、その理由はそんなに面白い話でもないから細かくは書かないけれど。恋愛脳の私は、夫が子供がほしいというから産んだのである。)



…話は戻って。
学歴や語学力・他人からの信頼・特別扱い・仕事や収入。そうしたものを手に入れて、自分が満たされたかというと…実際のところ、思い描いていたような満足感は、得られなかったのだと思う。

それらを授けられた時は確かに、これで大丈夫、と思う。だけど、私が手にしていると安心するそれらは、手元に同じ状態のまま保ち続ける方が難しい。

そしてきっと、簡単には保ち続けられないものだからこそ、あるいは変わってしまうことがあるからこそ、私はそれらに価値を感じている。
そのまま手元にいてもらうためにはたらきかけることもできるし、積極的に手放すこともできる。



私は大して覚悟もせずに「子供のいない人生」を手放して、そのせいで失った大きなチャンスがあると感じてきた。誰かの恋人として生きる機会、それと、仕事のことだけを考えて過ごせる人生を。

こうしたものを、どうにかすれば取り戻せるのでは、とあがいていた時もある。
でも、私が欲しいと思っていたそれらはもしかしたら幻想かもしれない。私が、もしも「子供のいない人生」を手に入れていても、どうしても手元にはないのかもしれない。

そんな単純なことにどうしてこの10年気付かなかったのと思われそうだけれど…
「私は手放す」と決めることが、そして「私は手放した」とみとめることが、どうしてか私は怖かったのだった。

手放しても何かは残る、何かが続く。私を過ぎ去ったもの、反対に私の中にいつまでも残っているものに気付けたから、私はこれから、きっともっとたくさんの機会に恵まれるはずなのだ。

手放す怖さはいつまでもなくならないけれど。
そう信じて、これからも手放しながら、生きて行く。




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