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中国の南昌に、出張に行ってきました。VR産業大会というイベントのお手伝いでした。2.5人分くらい働きました。

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失敗した!という部分もいくつかあったのですが、次回に役立てて行きます。

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南昌市のこと、イベントのことは、また別のブログにまとめたいと思います。
(とりあえず早くひとに見せたい素敵な光景がいくつもあったので、冒頭に数枚貼り付けておきました。)


今、仕事としてイベント運営の他にも、ライター、編集、中国のSNS運用と様々に携わることができています。2010年4月にシマッタな会社に就職して以来、一番楽しく、命を削りながら仕事できている感じがして幸せです。

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対照的に、今、ベストでないな、と感じるのが家庭。

息子のたちゅごんは来年小学校入学で、今は保育園。一緒にいる時間は短いけれども、土日のどちらか一日や、都合をつけた平日などはゆっくり向き合うことを心がけている。

バイオリンと中国語の習い事も、わたしと過ごす時間の一つとして大事にしていて、どちらもだいたい2年弱続けている。最近は自分で単語を覚えられるように工夫したり、うまく弾けた時には喜んでいるので、体験させることができてよかったと思う。

ダメなのは、夫との関係。もうすっかり、いろんなことを共有できなくなってしまった。わたしからも相手の気持ちや考えを共有してもらえるよう努力するのをやめてしまっているし、相手から働きかけられているようにも思えない。今や完全に、たちゅごんの共同お世話係だ。

子育てを使命としてパートナーであり続けるのも夫婦の形の一つ、しかもその子育て最優先の関係は一時的なものかもしれない…そうも思うけれど、そのことに違和感を抱き続けている。

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今週、日経DUALのオリラジ中田氏の記事を読んだ。子育てにおいて、妻の福田萌さんの要望に応えてきたが、それは彼女の心を満たすことはなく、ならば今後は子育てや家事の領域での要望に応える以外の形で、彼女との関係を保持して行きたいと考えるようになった、という話だった。

具体的には、子育てや家事を夫婦で負担せず外注の形をとることを提案したらしい。子育てや家事を夫婦間だけで担わないという前提条件のもと、彼女が人生でやりたいことと自分がしたいこと、そして2人の関係をどうしたいかということを考えたそう。

わたしは一時、福田萌さんのように考えていたことがあった。つまり、家事育児分野の責務を夫に負わせることで夫婦2人は対等な立場になれる、それが2人の関係を良くするというようなことを。

その後中田氏のように、子育ての担当者という立場をとりさって配偶者とどういう関係でいたいのかを考えるようになった。そしてそのことを冷静に考えるために、家事や育児をできる範囲で外注してきた。

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もう少し具体的に振り返りたい。

3年前のわたしは、家事の負担がどうすれば互いに軽減できるのか、どういう分担を割り振ればお互いに納得できるのか、そしてわたしが夫婦にどういうやり取りを求めているのかといったことをよく考えていた。そして夫に対して、自分が歩み寄ることを心がけたり相手が歩み寄ることを期待しながら、思考や感情を言葉にして伝達しそれへの反応を要求していた。

そのいくつかは否定され、いくつかは無言のままあるいはなにがしかのコメントをもらって対応が開始された。

だけどもそのうち、わたしの考えをベースに物事を要求し対応してもらうのは、夫の人生を害しているように感じるようになった。夫は夫でわたしと子供と3人の生活についてどうあるべきかを考えているはずであるから、彼を信じて任せるべきだと考えるようになった。

結果として、わたしが気をもむあることは満たされ、あることはわたしが思ったことと違う形ではあるが応えてもらい、また、そのまま手付かずでほおっておかれた。

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当時は金銭的に夫に多くの負担を強いていた。わたしは、金銭的な負担は夫婦間での物事の決定権を握ることと結び付けられるべきだと思わないし、夫もそうは考えていなかった。そうであってもわたしにとって、相手へかける負担はやはり負い目だった。

仕事が軌道に乗り、やっと対等になれたと感じる今。お互いに最低限のすり合わせしか求めない、そんな生活の共同運営を気楽に思う一方で、少し寂しさを感じる。

一度変容してしまった関係性というのを取り戻すのは難しい。そして夫と過ごしてきた8年という歳月は、わたしに新たに関係を構築する気力をもたらしてはくれない。

それでもおなかはすくから、時間が合えばご飯を作って3人で食べる。夜は布団をかぶって眠り、朝はおはようと声をかける。