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たまたまだけど、共通した要素のある2つの映像作品を続けざまに観た。

「レオン」と「私の男」。

どちらも父親ほど年齢のはなれた(というか、片方は実は本当の父親なんだっけ)男性と、若い女性との恋愛もしくは恋愛のようなものを描いたストーリー。出てくる男女の年齢差は似ているけれど、その中で起きる二人の関係は対照的だ。だけど結果として、どちらも恋愛を成就させている。



自分が年上の男性ばかり好きになってしまうことに気付いたのはいつだったか。同年代と言える年齢の男性と付き合ったこともあるし、普通に同級生に好意を抱いたこともあったけれど交際をしたのは一回り以上、二回りくらいの年の差の男性も多い。25歳年上の夫に付き合いたいとお願いしたのは自分だった。

たまに考えるのは「もしかしてわたしは、自分を受け入れてくれそうな相手をえらんで、好きになっているのか」ということ。お金持ちの男性が婚活市場で需要がある(と言われている)ように、相対的に若い女性の方が受容される可能性が高い、と潜在意識で自分は考えているのかもしれない。

…なんていう自分の恋愛遍歴はさておいてだが、やはり年齢差のあるラブストーリーめいた作品を求めてしまう心理は、市場原理を抜きにしてもなんかしらの欲求が影響しているのかと思わなくもない。
中学生の頃初めて「レオン」をみたとき、当時は明確に言語化できなかったはずだけれど、振り返ってみれば自分の衝動が昇華されたような錯覚を抱いた…のかもしれない。



父親として存在する男性と結ばれる「私の男」には倫理に悖るという批判もネットで見かけた。それでもわたしは、どちらの展開がヒロインにとって救いなのかということについて、正直判断に迷う。

(心理的に)幼かった自分が誰かに受け入れてほしいと手を伸ばしたとき、その手を取ってもらえなかったしんどさ。倫理的に間違っていても自分がまやかし続けてもらえるのであればそれはもしかしたらヨイコトなのではないだろうか。どちらが良いのかは、自分で決めるしかない。

どこまで続くかわからない感情でも、そこにあるのだからとわしづかみにする。そんなふうにヒロインが決断したようにも見える。彼女はすごいのかもしれない、そんなことを考えてしまう。



彼らのようには結ばれない「レオン」のストーリーには、ヒロインに対する救いがないかというと、でもそんなことは決してない、と思う。

彼らは手もつながないんじゃなかったか。それでいても、二人が互いにいつくしみ合っているのが感じられる瞬間が続く。最後は少し悲しくて、ふたりの恋愛は終わってしまうけれど。マチルダの中に思い出は残っていて、それが彼女の人生を支える。

何か肉体的なふれあいがそこにあるわけではない、でもそこには二人にしか認識できない互いへの期待というか信頼があるのだと思う。それだけで恋愛と呼ぶに十分な気もしてくる。もしかしてこれまで、わたしにもそんな人間関係があったんじゃないかと夢想する。



人はなぜ恋愛をするのかしら。自分が存在していてもいいという感覚を味わうためかな。

だとすれば歳の離れた人物にばかり惹かれることを否定的に考える必要はなくて、わたしはただ、関係の中でつかみとったかすかな自己肯定感を集めて、少しずつ歩いていくだけ。