(ネタバレありません)
歳を重ねてよかったなと思うのは、以前観た作品をもう一度観たときに、前回とは違ったことに思いをはせることができるようになったこと。
母校が撮影に使われている映画「ノルウェイの森」(トランアンユン監督)を鑑賞した。2010年の劇場公開時に観に行って以来だから、2回目。
この作品の、画面の切り取り方とか夏と冬の色の違いが好き。村上春樹小説の登場人物たちの独特の言い回しが音になっているのも快い。(余談だけど、大学時代はあまり村上春樹の作品に没頭できなかった。今はちがう)
当時もそう思っていた、色のきれいな作品だなと。
でも、誰かが死んでしまって、残された人が生きようとして…というときに、登場人物たちのとる行動にはいまいち気持ちを重ねられなかった。
それに村上春樹の小説の登場人物って、よくわからないタイミングで、よくわからない組み合わせで、セックスするなあと思っていた。
だけど、そう思ってしまっていたのは、自分の対人関係のパターンが限られていたからなのかもしれない、と2回目の鑑賞となる今回、思った。
基本的には一番好きな人とするもの。性欲の解消にするもの。その他の性交はどこかしらケチのつくもの。2010年に鑑賞した時には、自分の中のセックス観ってそういうものだったのだと思う。
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でも一方で「本当にそうかな」とうたがわしい気持ちがあったから、自分の固定観念と異なることを書いている作品に触れ続けていた面があったのかもしれない。
8年がたち、8年分のなにかが自分のなかに増えたようです。
「一番好きじゃない相手としているセックス」に対して「どういう意味があるのかな」といくつかの気持ちを想像できるくらいのなにかが。
(この人どんだけセックスしてるのって思われるかもしれませんが。気になる人は対面で聞いてね。たまにご質問いただくけれど、わたしはポリアモニーではありません。)
一番の好意でも肉体的な衝動でもなく、いたわりの表現として、肯定を与えるものとして、抱擁の延長として。そういうセックスがあってもいいんじゃないのって、今日は思えたから。
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何人かが悩んだり、死んだりしてしまう映画でもある。
自分が2005年に大学入学と同時に始めたバイト、初日に一緒に勤務した友人は2012年の春先に自分で死んでしまった。わたしは妊娠していることを理由に当時見送りにいかなかったから、本当に死んじゃったのかわからないけれど。
彼女ではないけれど、精神科の閉鎖病棟に入ったひとをたずね、どうしたらその人の苦痛をとりのぞけるのか悩んだことも思い出した。
苦しみに飲み込まれてしまう主人公の友人を見つめても、今日の自分はもう、そのままでいいんじゃないのって思える。
25歳で鑑賞した時にはたしか、もっと表面的な感想しか抱かなかった気がする(mixiにでも記録しているかしら)。
8年後の今日再会した「ノルウェイの森」は、一人でいたり他人になぐさめてもらったりしながらなるべくなら生きればいいんだよと、そういう気持ちになる作品でした。
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