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自分は会社員として生きていくのだ。

という思いがなぜかずっと、常識として自分の中にあったのだけど。

このたび、会社員をやめることになりました。

なんでかなー。おかしいなー。ここを目指していたわけじゃなかったのにな。

そんな風に思っています。

でもその気持ちから少し目をそらしてみると、「こうするしかなかったな」って納得している自分も、いるわけです。




保障がほしかったのです。

いつか住む場所も食べるものもなくなってしまうんではないか、っていつもいつもすごくすごく不安だったわけです。

そのために、「時間」とか「自由」を担保にして、「会社員」という身分を得ることが、自分にとって安心の材料となっていたのです。



でも今回、勤務先(6社目である)で、究極の選択を迫られた。

「あなたの時間をこの金額で買ってあげる。だから、契約している時間は、会社の好きに使わせてね?」と。

それでいいのか。8時間と引き換えに、自由な思考を奪われていいのか。

本当はその8時間に、「わたし」が「価値があると思えること」が、含まれているはずだった。

しかし自分の手配不足で、契約書によると、わたしが無価値と感じてしまうことにすら、時間をささげなければならぬことになっていた。



それで、どうしようか考えた。

会社員という保証を手放して不安だけど、すべての時間を、自分がいいと思うこと意義があると感じることに注ぎ込める世界に飛び込むのか。

それとも、毎月一定の金銭を得られるという安定と引き換えに、自分のやりたいことをセーブするのか。

理想としての答えはすぐに出るのだけど、「現実」と呼ばれる、食べること寝ることが、その世界で安心して享受できるのか、逡巡した。



数日悩んで、結論が出た。

「自由と安定」。その両者は、今のわたしには両方を手にすることはできないらしい。

今わたしがかろうじて主体的に選び取れる世界では、理想的な毎日である「生きてることを楽しむ時間(自由)」と、企業による社会的な保障が両立しないのだと判断した。

そしたらどっちをとるかと言ったら、やっぱり自由だった。

社会的な保障を得て、穏やかに死ぬため備えて生きるのではなくて、生きてることを楽しむために生きたい。

他人(息子)の人生の保護をつかさどる人物として、他人からみたら多少無責任に思えるところもあるかもしれないけれど、自分はつどつど最善策を考えてとって、息子への愛情を表現していきたい。



そういうわけで今後は、すきなことについてすきなだけ文章書いて生きていきたいと思います。(あ、収入のための仕事もするので、すべての時間が自由というわけでは、ないんですが。)

自分の文章が、意図しないところで誰かの人生を揺さぶることができたらいいなと思います。それが作家ってことだと思います、将来の夢は小説家。

いま書きたいことは中国のことと、感情渦巻く人間関係(恋愛)。ブログにはそれ以外のことと日常生活と書いていきます。

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