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数えでいうと25歳で就職して、 26歳で結婚して、27歳で子供を産んだ。

我ながら、生き急ぐなあと思う。まあ縄文時代なら寿命が来て死んでいるわけだけど、少なくとも平成の時代、大学を出て留学もして東京のサラリーマン世界に飛び込んでっていう自分なら、生き急いでいるか空気を読んでいないかのどっちか(あるいは両方)だ。

快適に住める場所が欲しくて、自分を肯定してくれる人が欲しくて、その両方ともをくれて生活習慣が合う相手がいたから、結婚したというのが正直なところ。



子供を産むか産まないかっていう決意は、

「職場を転々としてしまって、自己都合で退職するのはもうセケン的にイメージが悪すぎる。出産は妥当な理由になりそう」

なんて軽い気持ちでくだした、と言えなくもない。

実際には、出産時の痛みに対する恐怖に向き合う葛藤とか、もしかしたら子供なんて簡単にできないかもしれないから出来るうちにという考えもあったわけだけれど。自分の職歴がもっとクリアーだったら、経済的に自立できていたなら、選ばなかった選択肢かも知れない。



じゃあ今こどもいない方がいいと思うわけ? ってまあ、思われそうなんですけども。

簡単に言ってしまえば、いない方がいいなとつい思ってしまうときもある。子供が「おかあさんなんていなかったらいいのに」という思いを抱くのと同じレベルでだけども。でもこっちは意思をもって産み出した側だから、重みが変わってしまうのだろうけども。

たちゅごんの存在を否定するわけでは決してない。

けれど、子供と生きていくことは、まるで生活を二人分こなすようなもの。子供がいなかったら、いろんなことにもっと時間を使えるのにって思わなくもない。

仕事するとか、本読むとか寝るとか。テレビ見るとか寝るとか、映画観に行くとか寝るとか。



仕事とか読書とかそんなこと、「子供がいる」という価値と比べたら、ささいなことじゃない?って思われそうだけど、そんなささいなことが実現せずに疲弊している自分がいる。

日々洗濯物は増え洗えばしまう必要があり(そりゃもちろんぎりぎりまでためるけれども)、食事をつくれば台所が汚れ洗い物が増え(そりゃもちろん冷食だって使いますけども)、それでもまだおなかすいたなんて言われてしまう。

風呂に入れれば髪の毛を乾かしてあげたいし(別に乾かさなくても頭皮が絶望的に荒れるわけでもないけどさ)、歯磨きはまだ自分じゃきれいにできないし(歯科医のところでフッ素ぬってシーラントもしているからある程度手抜きしていいということにしているけどさ)、注文の多い料理店よろしくからだじゅうにクリームを塗らないといつもかゆそうにしている。

おまけにせかさないとベッドになんていきやしないのです。

自分で食べるとか手を洗うとかトイレに行くとか、できることは格段に増えているはずなのに、それでもなお「目の前のやらねばならぬことの多さ」にときにげっそりしてしまう。



実際にはその毎日は続かないわけだけど、実感として「毎日がそれ」になってしまった時にはもう、げっそり感はぬぐえない。ピークに達すると「ああ子供との人生なんて始めなければよかったのかな」という思いが頭をよぎる。

子供が保育園に行っている間にせいいっぱい集中力をかき集めて仕事をしたりする。勝つことがすべてじゃないけど、子供のいない人におとった仕事はしたくない。そんな焦りがどうしても頭のどこかにある。

わたしは一人で旅行に行ったりもできるので、その気分から抜け出すための選択肢は手にしている方だと思うけど。
(話はずれるけど、こうして女親が子供と離れて行動することに対して「旦那さんえらいね/やさしいね」っていうのめちゃめちゃ聞き飽きたしまったく同意できない。)

それでも逃れられない、排除しよう排除しようと心のどこかで願っている、ほんの少しの罪悪感まじりのこころの声。いつかしなくなるのかな。