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元旦に実家に帰った。

7月に回転寿司屋で母親に緑茶の入ったコップを投げつけ、醤油に浸るのも気にせず千円札を投げつけ、炎天下の中20分バスを待って東京に戻ってきたらたちゅごんが発熱したあの日から半年足らず。

家に行くのが怖かったけれど(また怒りに我を忘れてしまうのではないかと)、妹がいるのできっと母親側もバランスは崩さないだろうと思えたので帰ることにした。

たちゅごんと2歳違いの妹の子はたちゅごんと違って少し人見知りに見える。よく話はしてくれるのだけど、警戒されているのか物理的な接触は拒絶されがちだ。

たちゅごんには兄弟がいないので、歳の近い、家族に近い存在との交流は保育園の友人とは異なる気がして、なるべく会わせてあげたいなと思う。

そして、たちゅごんに祖父母との関係を与えたいなと、僭越にも感じるのだけど願っている。わたしにはひと組しか祖父母がいなかったし、あまりたくさん交流した記憶も感覚もなかったから、高校や大学の友人が彼らの祖父母と健やかに交流しているらしいことを知って衝撃を受けたのだもの

父方の祖父母は、年に一度くらいやってきて、母親がその接待にいらだちを募らせていた。わたしはタバコ臭い祖父がいやだったし、祖母とは何を話していいのかわからなかった。世間話を知らない人たちだったように思う。



結果として今回の正月の帰省は、よかったと思う。

わたしはたちゅごんの行動に注意をはらい、話しかけられれば応答し、少し黙っていて欲しい時はお願いする、そういうやりとりから気を抜くことができたし、たちゅごんは思うさま親戚と交流できたようだったから(翌日2日には東京での母方親戚の集まりにも行った。)

元旦は昼過ぎに茨城に到着したいと思っていたけれど、睡眠負債と前日までの夜更かしで10時過ぎまで寝ていたので、守谷に着いたのは16時になってしまった。

到着と同時に銀座アスターのおせち料理をあけてくれて、夫のはみちゃん、妹と妹の夫、私の両親で世間話をしてお酒を飲んでいるうちに夜になった。焼酎の「佐藤」を初めて飲んだけれどとっても澄んだ味でおいしかったし、それは借りた江戸切子のグラスで飲んだからな気もした。

夫のはみちゃんはわたしの両親と年齢が近いとあってか、わたしの実家にはほとんど泊まらない。わたしも彼の実家に泊まってと言われたら嫌なので、必要がなければ要望しない。

はみちゃんの帰宅後、順番で風呂にに入る。UQWiMAXの接続もあまりよくないので11時前に布団へ行く。全く寝付けない上、ウトウトし出すと妹の子が寝ぼけて大声でわめくのであまりよく眠れたようには思わなかったが、それでも深夜の2時まで起きているよりは身体に良い気がした。



「守谷駅の駅前でマンションに住む理由はあまりないと思う、郊外に住むなら戸建だろう」といつか友人の一人が言っていた。

今回、実家方向の駅出口に佇むマンションに、初めて「住みたいな」と感じた。

通勤が大変なのはわかる。でもこの半年ほど、たった15分でも満員電車に乗ることが苦痛なんだ。そろそろ「朝の通勤時間帯に電車に乗らない仕事とは何か」考えてもいい気がする。

だだっ広い道路のある場所で育ったせいか単なる隣の芝生の青さなのかはわからないけれど、わたしはこの町に戻ってきたいなと考えている。



今の住まいはJR線沿線、23区内、駅からは徒歩18分ほどの場所だ。

保育園だって近い。駅から10分、自宅から5分強。託児の可能な時間は7:30~19:30と聞く人によっては「そんなに長いの!」と言うレベルだ。「お迎えのため」と時短を選んでいる人だっているはず。だって東京から神奈川、埼玉や千葉、茨城に帰るにはどうしたって時間がかかるし、お迎えの時間が18時だったら18時まで勤務できるはずがない。

わたしはこの距離だから夫と子供と三人家族でも、時短勤務を考えなくて済む(正直なところ、残業を調整したり、定時であっても疲れた身体で迎えに行き食事を準備するのはひどくしんどい時もあるが。)

それでも考えてしまう。

「自分の望むレイアウトの家に住めたら」
「もっと静かな環境にいられたら」
「駅についてすぐに家に到着できたら」
「通勤ラッシュの時に電車に乗らずに済んだら」

こんなに恵まれた環境で何を言う?と誰でもない自分が反論してくるけれど、自分くらい自分の欲しいものを肯定してあげたい。それを自分に与えることができるのは自分だけなんだ。

便利さのある東京だけど、(使い古された言葉だけど)コンクリートが全てを覆っていて、狭い歩道を我が物顔で自転車が走り、毎晩のようにサイレンが鳴る街には住みたくないんだ。

戦友のように感じる会社勤めの母親たちが「選択肢なく時短」という話をしていたから余計に「お前何言ってんだ」って思うんだけど。

どこにいたってきっとなにか足りないものを探してしまう。だからわたしは結婚しているのかもしれない。「結婚しているからここに住むしかないんだ」と自分を納得させるために。