夫の家事育児への参加や穏やかな性格は、いつも他人が褒めるところだ。
「いい旦那さんだよね」と他人に言われるたびに「でもセックスしていないですけどね」と心の中で、あるいは声に出して返事をしてきた。
家事と育児を共同で行うほどに生活習慣や小さな価値観が一致しているということ。わたしの破天荒な仕事への関わり方に対して賞賛しかしないこと。とても恵まれた結婚をしたと思う。
でも性的な関係を夫婦内に閉じ込めるというルールはわたしたちには合わなくて、その現実にわたしはこれまでかなり苦しんできた。
「そんなにそれって大事かな」と問われれば、365日のうちたぶん300~340日くらいは「大事ではない」んだと思う。それよりも大事なものがたくさんあるから、だからいまも一緒にいるのだと思う。
でも年に数日、あるいは十数日、もしくは二十日くらい?「セックスしたい、大事にされているって思いたい」と思ったときに思いの丈を「ぶつけてよい」相手がいないことはやっぱり苦しい。
夫であるその人にお願いすればいいじゃないと心のどこかで思っているところもあるけれど、お願いして手に入るそれはもはやわたしの願ったものとは形が変わってしまう気がする。それに今のそれ以外でいい関係ができあがっている(と思っている)からこそ、それを崩す可能性が見えてリスクをとる気が起こらないのも確かだ。
そんなこともあって今年は真剣に離婚を考えたけれど(だって離婚さえしていれば「浮気」なんてしないで済む)、結局別れてどういう生活リズムで生きていくのか決めることができず今に至る。
夫と離婚しない限り、こっそり浮気をして生きていくしかわたしには道は残されていない。あるいは仕事に没頭すれば性欲なんてもの気にならなくなるのだろうか。
「そんなこと書いて!」とまたどこからか目くじらを立てられたり驚きとも呆れともつかない感情を引き起こしたりしてしまいそうだけど、いったいどうしてここをクリアにしないでわたしは生きていかれよう。
他人に伝える必要のないこと、長年夫婦をやっていれば当たり前のことなのかもしれない。でも、普通のどちらかといえば幸福なカップルであるわたしたち夫婦が、一面に社会ルールとのあつれきを抱えながら生きていること。それはわたしにとっては理想と食い違っていて衝撃で、ついつい書き記しておきたくなるのだ。
そんな気持ちだけどただ今日も、わたしは夫とご飯を食べて生きています。
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