お金を稼いでその使用権を手に入れるのは、お金そのものではなくそれを使って手に入る何かを求めているからで、それは屋根と壁のある安心できるスペースだったり、人間関係だったりする。

人間関係にお金がいるのかよとつっこまれそうだけど、わたしが友人だと思っている人たちは学校という所属を手に入れたからこそ同じ空間に収容され知り合う機会ができた。同じところにいるだけでは仲間にはなれなくて、同じような言葉をしゃべって、同じ種類の人間だと思われるためには本を読んだり服を着たり、同じような消費をたしなめばならない(と、わたしは思っている)。

会社も同じ。ネットの上であっても。同じ階層に所属することをわたしは望んでいるから、そのための調整にお金を投入したいと思っている。それを悲しいことだとか道理のないことだとかは思わない。

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2002年から雑誌で連載されていた、働く女子が主人公のマンガ「サプリ」(おかざき真里)を単行本で読んだ。

もう15年も前に描かれた作品なのに(正確には2007年に完結している)、現実はなにも変わっていないのだと感じさせられる。厳密には少しの進歩を遂げているのだろうけど。

たとえば、男女雇用機会均等法ができたから、やりがい求めて夢見る勘違いな女の人が現れる、と認識している男性。(こんなふうに言語化して表現する人は今の時代いないだろうし、わたしもそういう人からはどんどん離れていったので今どのくらい生息しているのかは、未知数だが。)

そして、経済的に自立していなければひとりでは子供を産めないよのなか。

したいと思ったことを自力で実現するために、わたしはお金を稼ぎたいと思う。

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「努力が評価されるのは義務教育まで」。

第1話目のセリフは、学生時代初めて同書を読んだ時から自分の中に刻まれて、今でも働く時のいましめになっている。

後半で出てくる、主人公が自分の就活を想起するシーンも印象的だ。

「それらしい」志望動機や自分のツヨミを述べながら、心の叫びがモノローグとしてあらわれる。

「世の中に椅子が欲しいんです!」

世の中に椅子を手に入れて、お金を得て自分の願いを叶えるため、雇ってくれる誰かをさがす。そんなふうに、わたしは今日も生きていく。