演技の良し悪しはわからない。だけど、信じられないくらいつらいことをのりこえてきて、他人をつつみこむことのできる、そんな「女性になった人」が生田斗真の形でそこにいた。
つらいことののりこえ方と、その先に幸せがあることを教えてくれる、そんな作品だった。
生田斗真の演じるMTFのりんこさんが、小学生の主人公、トモに教えていたのは、くやしい目にあっても、わめかないでじっと耐えて、自分の中で気持ちを消化していくんだよということ。
そして、言葉では伝えていなかったけど。自分を大事にしてくれる人とその気持ちを分かち合ってなぐさめてもらって、そうしてその気持ちを消化していくこともできるんだよと、言っている気がした。
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もう1つこの作品の素敵なところは、みんなが間違っているところ。全然完璧じゃないところ。
それでいて完璧でないことを、責めるべきこととして描いていないところ。
主人公トモを捨てて出て行く、ご飯も作らない彼女の母親だって、ちっとも責められるべき存在として描かれていない。
「ひとりで子供育てて、たまに間違えて子供を保護できなくなって、それの何が悪いのよ」って主張は、そんな気持ちでいるけど言ってはいけないって思ってる親(つまりそれはわたし)の気持ちを代弁していると感じられた。
(わたしは夫が参加しているから、その間間違いを犯さなくても、自分の好きなように過ごすことができる。)
そんな彼女の素直な気持ちを、彼女の弟もその恋人も、責めない。だって、それは、当然じゃないか。子供は傷つけちゃいけないなんて、知ってる。でもそうできないときだってあるんだ、完璧ではいられないから。
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完璧でないことは時に、とてもとてもとても、くやしい。
それを分かち合うことのできる相手を、人生の早い段階で見つけられた人はさいわいなのかもしれない。でもそんなひとなかなかみつからない。
くやしいという気持ちから目をそらせば、もしかしたら楽かもしれない。でもくやしい気持ちのない生活は、なんだかさみしい。ひとりで生きていればくやしくもないけれど、きっと誰かとわかりあえたという極上の体験を手に入れることもない。
目を逸らさずに苦しみながらくやしさを抱えたぶんだけ、ひとはひとに優しくなれるのかもしれない。方便かもしれないけれど、そういうことにして、自分の力のなさをこれからも、心の中に存在させてあげようと、りんこさんを見ていると思うのでした。
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