借りた日は帰宅が遅かったので断念して寝て、翌日の夜、週中日だし、子供にご飯作ってヘトヘトだったけど、観た。
ビートたけしだけ日本語なのも、桃井かおりの英語も、なんだか逆に作品の雰囲気をよくする演出みたいになってた。最後のシーンで戦闘機を操縦する人が戦闘機に乗っていないというのは、近年の戦争を思わせてちょっとゾッとした。
ストーリーは善悪二元論的な、極めて理解しやすいものだった。大学生頃まで楽しめていたアクロバティックなシーンには当時ほど心踊らないことに気がついたが、逆に香港モチーフな街並みは雑多なのに美しく感じたのはこの10年中華圏の文化に接しているからだろうか。
中国の福建にある土楼のような集合住宅の質素さと無造作に扱われる鉄瓶にはものすごく心惹かれた。居住空間は中国のアパートのようで、なんだか懐かしくて(わたしは住んだことはないのだが)、あの空間にわたしも飛び込みたいと感じた。
タイトルにある「ゴースト」は幽霊ではなく、「ある人をその人たらしめるもの」である魂のことを指している。「シェル」は容れ物で、生身の体だったり機械化された躯体だったり、する。作品を見ていると、ゴーストつまり「その人をその人たらしめるのは何か」ということを考えさせられる。
◼︎ネットを使いまくる今だから、観たかった
この作品を観たかった理由は2つ。
1つ目は、「人間」の肉体を持たない登場人物(要するに体がサイボーグ)を通じて描かれる、人は何をもって自分を自分と定義できるのか、というテーマに関心があったから。
タイトルの「ゴースト」は、作品ではその人をその人たらしめるもの、として使われている。
2004年に公開されたアニメの攻殻機動隊「イノセンス」を劇場で観たけども、なんだか作品に出てくる刺激的なアクションに目をとらわれて終わってしまったような記憶。32歳になった今自分がどういう感想を持つのか知りたかった。
この数年毎日と言っていいほどFacebookを触っているのだが、このサービスを通じてわたしを認識している人たちにとって、わたしはほとんど肉体を持っていないようなものだ。ネット上に生きる自分はどうして自分といえるのか、ということを掘り下げて考えてみたい、と常々思っていた。そこに何か回答が得られる作品かなと思った。
2つ目の理由は、こういったテーマを描くのに、表現に制限のないアニメではなく、物理的な制限がある実写ではどういう表現がされているのか、興味があったから。壊された機械の記憶に飛び込む主人公とか。アニメが嫌いなわけではないけれど、やはり生身の人間、街並みが再現されるとわたしはワクワク感が増す。
◼︎個性を美徳と認められるカタルシス
鑑賞してみて、その後も何が自分を自分たらしめるものなのか、ということを考えてはみるものの、はっきりとこれだという答えはつかめていないし、週末飲みすぎた頭には荷が重い。とりあえず気に入った言葉を最後にメモしておく。
ビートたけし演じる荒牧課長の「人は個性を美徳とされて初めて安らぎを見出せる」という言葉。他人と向き合う際に大切にしたいと思った。覚えておく。
それと、誰のセリフか忘れたが、「記憶ではなく何をするかが人を決める」という言葉。つまるところ肉体があるかないかということにはなんの関連性も無い、「自分とは何か」って話になってしまうようにも思うけど。過去に囚われても仕方がないという意味かな、それともいまを生きましょうということか。いずれにせよ、何をするかがわたしを決めるのだろうから、1つ1つ心を込めて決めていこう、何をするかを。
高校生の頃、攻殻機動隊をツタヤで借りて観ていたはずなのにストーリーはほとんど思い出せない。ということで今週末は一緒に借りたアニメ映画を観てもうちょっと、「自分を決める要因はなんなのか」ということについて、SNS中毒者として考えを深めたいと思う。
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