配偶者の呼び方問題。わたしには戸籍上は配偶者はいないのだが、子育て専業時代は、外では「旦那さん」と呼んでいた。今は「夫」または「はみ」と呼んでいる。

はみ、はわたしが考案した、わたしの配偶者に対する愛称だ。理由は気になる方も多いようですが会ったときにでも聞いてください。何かがはみ出ているわけではないです。

ちなみに、専業主婦、って家事をやってる人って印象が強くて、わたしは家事のためというよりは子育てのために賃金労働をしていなかったという気持ちを込めて、無職の2年間を「子育て専業」と表現している。


◼︎主人とカナイ

その2年間はママ友さんとの交流が多かった。主人、という言い方をする人は多くなかったように思う。いるにはいたが。旦那さんが多く、夫と呼んでいた人もいた気がする。

実家に暮らしていたティーンエイジャーの頃、自分が結婚するとは思っていなかったのだけど、両親が電話口で会話の相手に、家内が、とか、主人が、とかいうのを聞いて、なんだか違和感をおぼていた。カナイという音が母親の名に音が似ていたので、なぜ呼び捨てで親しくもない電話の相手に紹介しているのだろうと、幼い頃訝しがった記憶がある。

しばらくしてカナイが家内であると気付き、漠然と驚いた。経済的に優位の人と劣位の人、家内と主人にはそういう意味が込められているように感じたから。夫婦の中で優劣はない、そんな感覚の人もいるかもしれない。でもわたしは生育環境から、そう感じざるを得なかった。家の中の人という字面には、生育環境とかけあわせるとそれくらいのインパクトがあった。

家庭で、自分の時間と能力で手に入れた金銭以外は自分の金ではない、と教えられてきた。そして他人のお金を使うときにはそのお金を供出してくれる人の意見を重んじなければいけないとと繰り返し聞かされてきた。

だからいくら子育てや家事のために賃金労働ができないのだと言い訳しても、結局収入がないのであれば(子供がいようが家事があろうが、雇用されずに報酬をもらえるような立場を確立している人は別だが)、生活のための金銭を持ってきてくれる人に従うのが正である。そういうルールの中で生きてきた、ように思う。もう抜け出した家だけども。


◼︎嫁と呼ばれること

嫁、という表現には実は特に嫌悪感は抱いてなくて、そもそも姓をどちらかに揃えなければいけない戸籍制度なのだから、それを利用しているうちは家と家の結びつきのルールに従ってるということなのだろうと考えている。わたしはそれが嫌だけども、この単語を使った方が相手の理解が円滑だと思ったときには、(仮名)ヤマダの嫁ですというように自己紹介をしたことがある(実際に入籍しているかどうかなんて、傍目にはわからないわけだから)。

だがらたぶん、夫のはみが、外でわたしを嫁のまっかちんですと紹介するなら、心の中で、実態は嫁ではないんだがなとひとりごちるだろう。反対に、夫の家族をもてなすとき、その役割を担うわたしは嫁であるなと感じるのである。


◼︎旦那さんから夫に

そんなわけで、わたしにとって配偶者の呼び方として検討できるのは、「旦那」「夫」のどちらかだった。オットという場合は呼び捨てな感じがして抵抗があり、しばらく「ダンナさん」という呼び方をしていたのだが、またしばらくすると反対に「さん」をつけることに違和感を感じて、「夫」と呼ぶようになった。

振り返ると、組織に復職し収入を得るようになり、さらには勤務がフルタイムになったことと連動しているようにも感じる。主人とは呼ばずとも最後まで手放せなかった「さん」には、金銭的に養われているという消しきれないわたしの思いが潜んでいたのかもしれない。