信田さよ子先生の、『共依存・からめとる愛』を、読んでいる。




第1章ですでに、言語化できなくて俯瞰もできなくてだけれど確かに自分の中にあった消化できないかたまりを、溶かされて行くのを感じる。

それは昨今はやりの自己責任論について、それは本当に自分だけの責任なのか?と考え直す余地を信田さよ子先生が与えてくれているからだと思う。

自分の努力不足や自分を責めたって仕方ない領域が、人生には確かにある。
そのことを認めて初めて、どこまで自分が責任を負うべき出来事で、どこは責任がないのか認識することができる。
そこには生きやすさがある。

たとえば、31年前、自分が生まれたからわたしの母親は職を手放すしかなかった
だから母親は自由に生きられなかった。
そういうふうに考えることもあった。
だけど、それはわたしには何の責任もないことだ。
わたしは母親に申し訳なさや、それによって何か恩返しをしなければならないと、感じる必要はない。

この考えを全力で肯定してもらえるから、信田さよ子先生の言葉を求めてしまう。

親との関係が現在の生きづらさの原因であると認めたひとを、信田さよ子先生はアダルトチルドレンとして定義している。
わたしは親との関係性が影響し、生きづらさを感じるアダルトチルドレンだ。
生きづらさは感じるけれど、今は自分の選択したものに対面しようという気持ちも、欲しいものを追いかけようという気持ちもある。

もし誰かが気付かず不要な思い込みや生きづらさを抱えているのなら、
それをはがす一助になりたいと思う。
そんな思いで信田さよ子先生の本を読むことをお勧めしたい。