
出産後専業主婦をほぼ2年、再就職して約2年半働いている。
どっちが大変かと聞かれることがあるけれど、わたしにとっては断然専業主婦が大変だった。
まず第一に専業主婦でいるかぎり、子どもを預けるハードルが高い。一時保育や今ならシッターを頼れるとはいえ、子どもを送り届けたりそれを手配したりするのは夫ではなくわたしだろう。働いている今だっておおよそそうだが、少なくとも登園に関しては夫は始業が早いので仕方ないという風に思えるし、その分終業が早いので迎えは九割がた夫である。働いていないことはそのまま保育担当になることを意味する。
二つ目に専業主婦として子どもにほぼつきっきりの毎日を送り、多数の人間の役に立っていると感じる機会がないことはわたしにはあまりに面白くなさ過ぎた。
スピード感をもって何かトラブルに立ち向かい、それを周囲に感謝されるのはわたしの喜びとするところである。(ただしこのところ職場では対処すべきことが多過ぎて、喜びを感じる余裕がない)
そして三つ目がわたしにとっては一番ポイントなのだけど、子どもと一緒にいて子どもへの注意を払うことをほとんどやめられないという負担だ。世の中には結構危険があるし、少なくとも我が家の4歳の人間は室内でじっと静かにしているのは苦手なようである。
子どもという、語彙が自分と異なる存在に常に話しかけられる可能性のある環境、というのは、自分のオリジナルの思考を奪われるものである。ある時外に出て大人と話そうとしたとき言葉が出てこないという感想を、日中をずっと乳幼児と過ごしている人間からよく聞く。
専業主婦として生活していたある夜、社会人だけの集まりに参加したことがあった。適切な挨拶、相槌がまったく頭に浮かばず、自分がバカになったように感じてひどく落胆したものだった。
その後大人との単体での接触を増やすことでわたしの能力はなんとか復旧した。
専業主婦でも子どもと離れることは可能だけれども、少なくとも今の東京でそれをすることは金銭的にも固定観念的にも簡単ではない。
そして子どもと常に一緒にいることは、わたしにとっては自分一人だけの時に得られる思考を放棄することだ。わたしはそれが惜しい。
(世の中には、子どもといても自分の思考を放棄しないで済む人ももちろんいるだろう)
だから、働いている方が楽。それがわたしの結論だ。日常の時間割を家事や子育てや勤務先での業務で埋め尽くされても、そのうちのどこかで、自分の思考を持って生きられることは楽しい。
子どもの成長がすばらしいし愛おしいのは確かで、子どもがこちらに向けてくれる愛情を受け止めるほど幸せなことはない。わたしも息子といる時間が好きだ。
だけど、欲張りなわたしは、一種類の幸せだけでわたしの人生を満たすことができない。
今が一番かわいいとき、大きくなるのは一瞬とはよく言われる。知っている人にも、全く知らない人にも、実によく言われる。
だけど、わたしの人生が過ぎ去るのも、きっと一瞬なのだ。
朝に晩に息子に愛を注ぎながら、わたしは今日も生きる。
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