かくいうわたしももちろんその一人だ。
そして、出産して育児をして、母親の体験をトレースすることで、こんな思いをしていたのだと、共感と許しを得る人も、同じように少なくないのだと思う。
さらにもう半周して、母親自身の可能性を子どもに摘まれたことで憤りを抱えるくらいなら、子どものためなんていわず自分を優先してほしかったと思い、
さらにさらに半周して、当時と今じゃ社会インフラが違いすぎるから母親を責めるのはお門違いと考えたりする。
息子が4歳になったいま、わたし自身はこの2回めの半周をに差し掛かっている気持ちである。
ただそれでも、今までごめんねという一言ですべてなかったようなやり方はできなくて、今に至る。2年半は口もきいていない。
親にもしものことがあったとき後悔するよというアドバイスは、最初の1年ほどは何人かから、いただいた。
最近は耳が慣れてしまったのかどうか知らないが、あまり聞かない。
自分の家がこうでさえなければということは何度も考えたけどももちろんそれはただの妄想でしかなかった。
多少のわだかまりがあっても、それをほぐしたりそのままにしたりして、言葉を交わしたり同じテーブルに座れるような間柄やわたしの精神であったらと思わなくもない。
だけどそれはわたしの家族ではなかったしわたし自身は居心地の悪さにつきすすむエネルギーを今のところ持ち合わせていないようだ。
「母親はあなたを産んだ人。ただそれだけ。友達になりたいかどうかと考えて、そうでもないのなら、距離をとって構わない」とカウンセラーの信田さよ子さんが言っていたので、わたしはそれにすがっていようと思う。
母娘は、それぞれの幸せに、お互いを必要としなくて良いのだ。
そう考えて、わたしは今日もわたしの人生をゆく。
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