録画しておいたドラマ『37.5℃の涙』を視聴した。毒親描写が素晴らしくて、涙なしに観られない。

現在発売されている単行本では、病児保育を通じて仕事と子育てを一手に引き受ける母親の苦悩がメインで描かれているので、「毒親」の受け止め方・流し方を原作以上に比重を置いて描いていることに、意外な気持ちもします。

毒親の本質はその振る舞いの良し悪し、またそうしようとする意図の有無に関わらず、子どもの行動と思考を支配するところにある。

ドラマには、主人公にきつくあたりながら決して関係を断ち切らないことで支配を続ける母親と、そんな母親を見捨てることに罪悪感を抱いて母親からの評価が自己評価のすべてになっている主人公が登場しています。


わたし自身の毒親という概念との出会いは、書籍。実はまだ小島慶子さんの本は読んでいないのだけど、何かのきっかけで田房えいこさんのエッセイだかエッセイ漫画だかを読んでから、毒親は自分の中で一大テーマとなっている。

遠野なぎこのブログを読みあさり、信田さよ子先生の本を読んで、自分と母親の共依存に気づいて、それまでの家庭内の違和感にやっと納得できたのだった。

匿名や実名のいくつものケースを知り、何故自分ばかりこんなきつい目にあわなきゃならなかったんだろう?という自分自身の疑問に、答えが出て、少し気持ちが楽になりました。

楽になったのは、自分には何の落ち度もなかったんだと思えるようになり、母親を責めることに罪悪感を抱く必要はないとわかったから。母親が自分と仲良くしたいのに自分は応えられないことにも罪悪感を抱かなくなれた。

だから、周辺で母親との関係が共依存になっているような人がいると、つい気になってしまうし、ドラマの登場人物の人生であっても注目せずにいられない。


今週放映分では、主人公のももこの家庭の様子が出てきた。

ももこはずっと、母親から冷たくされていたから、たとえ父親の介護のため利用されているとしても、必要とされるとうれしい。親の言うことに、反論できない。それが正しいと思い込んでしまう。

久しぶりに実家戻ると、用意されているスリッパ。部屋。寝巻き。服。介護のためなんてシチュエーションではないけれど、同じことをしてもらった自分を思い出す。

ドラマの中で、あなたの居場所はここだけ、と母親に言われ、そっくりそのまま肯定する主人公。そこに、家庭外の存在、彼女に対し個人的に好意を抱いているらしい上司が現れる。

これ以上がないほどのシンデレラストーリーだなと思った。とらわれてる妄想から解放してくれる誰かが、囚われ先の毒親との関係を断ち切りに、家庭に介入してくれるということ。ああうらやましい、わたしには本しかなかった。


ラストは職場でのシーン。二人きりになった主人公に対し、君の居場所はここ(職場)にもあるよと上司が告げる。それを聞いて大泣きする主人公。(ちょっと泣きの演技がイマイチと思ってしまったのだが、主演の女性はなかなかいい環境で育ったのかもしれない)。

そしてそれを抱きしめてくれる上司。これ以上ないカタストロフィ。全毒親家庭に育った女子が泣いたのではないかと思う。

わたしも、大学卒業後すぐに、自分を必要としてくれる仕事やら職場やらに、出会えたらよかったなぁと改めて思う。努力か運か、わたしは出会えなかった。(もちろん、抱きしめてくれる上司まで期待していたわけではない。)

やけくそで子どもを産み(生まれた子どもは心から愛しているがやはり産もうと思った動機はやけくそに近いと思うので誤解を恐れながらこう記す)そのあと出会った職場でやっと自分はここにいてもいいと思える場所にたどりついた、と感じている。


来週以降のストーリーは単行本でもよく描かれている恋愛パート。楽しく観られそうです。

ところで、速水もこみちって料理してないとこんなにかっこいいんですね。そして速水もこみちさんよりも、成宮寛貴が素敵すぎてファンになりそうです。

成宮寛貴が、というわけではなく演じている役が好きなのだと思うのだけど、画面の中や舞台に架空の人物を実存させるのが俳優という職業のなせる離れわざなのかなと尊敬の念を抱きます。ちなみに、のだめカンタービレのときの玉木宏も大好きです。