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定期的にやってくる断捨離欲。気がつくと少しずつものが増えているのは、無意識で使わないと思っているものまでずっと置いておいてしまうから。

これはもういらない!と判断できた今日が吉日、バッサリ捨てました!

■捨てたもの


今日さよならしたもの。

・ムートンブーツ(たちゅごんと冬公園に行く時重宝していた。この2年くらいは年に1回くらいしか履いてなかった気がする)
・ウェッジソールのサンダル(妊婦の時履きやすいと思って買った、つまり5年前!同じく最近は年に1回くらいしか履いてなかった)
・デッキシューズ風な靴(2,000円くらいで買った。最近は中国に行く時に履いていた)
・黄ばんでいる布団カバー(…)
・たちゅごんの公園ライダー(2歳向けだから小さすぎ。かなり使ったので人にあげるような状態でもなし)
・たちゅごんの手押し車(捨てられていたのを拾った…)
・はみさまの履かない靴2点
・自転車カバー、ビニールシート
(あることすら忘れていた…)


■捨てようと思うもの(わたしにとっての衣類の寿命とは)


・スーツ(転職の面接で使うかもと、2着、大事~~~にとっていたけど、そろそろそういう面接は受けることができなくなってきた感じもあるので、メルカリに出そう!)

・コート2着(それぞれ7年、6年着ているもの。新しいコートが欲しいのもあり、クリーニングは出したけど、思い切って捨てる!)

あと数点ある大物おもちゃはメルカリする予定です。


靴や服は消耗品の側面があるし(特に靴)、わたしは「見た目も仕事のうち」(相手に信頼感を抱いてもらえるかどうか、身なりも影響する)と思っているので、身につけるものは投資すべきだと思う。

「歩ければいい」「暖かければいい」という機能面も見ていきたいけど、そうもいかない。家にこもってても仕事が入ってくるようになったらそういうふうにしてもいいかもしれない。

ただ、今のわたしにとっては「仕事相手に信頼感を抱いてもらえるかどうか」という基準で衣類の寿命を判断するのが良いのだ。

■東京に住んで東京で働くということ


東京のマンションは、茨城の戸建で育った自分にとっては正直とても狭く感じる。巨大なマンションに、多くの人がひしめき合って暮らしていると考えるとき、蟻塚を想像せずにいられない。

角部屋ではないので、窓が2方向にしかないのもすごく違和感があった。「リビングダイニング」と、ひとつながりのスペースに食事スペースとくつろぐスペースがあてがわれているのも、正直最初は驚きを覚えた。

自宅を行き来するような中学までの茨城の友人は、同じような戸建住まいが多かったし、大学時代は通学に片道2時間を費やしていたため「誰かの家に遊びに行く」という経験をほとんどしなかった。そんな自分の経歴も、東京のマンションを見たときの驚きにつながっているのだろう。

来月でここに住んでまる7年。

最近、この「狭い」住居で生活することの自分なりの意味を、自分ではっきり打ち立てることができたなと思う。

「東京に住んで東京で働く」ということは、通勤の利便性があって通勤時間に人生を投資しなくて済む方法でもある。同時に、どうしたって一般人は居住スペースが狭くなる。

そんな時「狭い」と感じてしまうのは仕方ないけど、「限られた空間だからこそ必要なものだけ備える」「本当に大切なものしか持たない」というふうに考えることもできる。

狭い空間だって快適に過ごすことは可能なんだ。そのための方策をわたしは学んだことがなかったけれど、その実践の一つとしてこうして不定期に断捨離していきたいと思う。