勤務先の社内セミナーに参加した。

LGBT研修という名前で、職場にLGBTのひとがいるとはどういうことか、という話だった。気づいてないだけでいるかもしれない、自分の差別的な感情や偏見はうかつに出してくれるなよ、そういう内容だったと思う。

今更だけどもLGBTは多様な性のあり方、の意味で、同性愛、両性愛、性別移行者を意味している。今まで見えていなかった存在だけどもたしかにいるのだよということが昨今いろいろな形で報じられていると思う。

セミナーでは、①性を規定する姿形、②自分がどちらと感じるかの性自認、③恋愛相手の性別、④ジェンダーと呼ばれる社会的にこれだと決められた性のイメージ、の四つを指標に、男女の意識があり、これまで「一般的」ととらえられていた範囲に収まらない存在、それがLGBTであると説明されていた。


高校時代にとても好きになった相手に告白したところ恋愛対象の性別ではないからと断られた経験がある(その後、親しくなった相手に恋人の有無を聞くときは性別を限定しない表現を選ぶようになった)。

また半陰陽と言われる新井翔さんの実生活ルポのマンガにはまったり、同じくインターセックスの主人公の登場する漫画作品を読んだりしていた時期もある。

「ボーイズドントクライ」と「ヘドウィグアンドアングリー1インチ」は高校時代に鑑賞したし、つい先日は「彼らが本気で編むときは、」を鑑賞し終えたばかりだったし、今回のセミナーの内容は知っていることが多いなという印象だった。


生物学的な性を規定するのは外性器、内性器によるのだろうけど、セミナーで講演された文野さん(早稲田大学出身だった)は子宮と卵巣は取り去っていないということだった。乳房はなくなっているし、ホルモンを摂取してヒゲが生えている。

性自認は男、恋愛対象は女というところから考えると、性の姿形も男にそろえてしまうことを望んでいるのではないか、とわたしは思い込んでいたので、取り去りたいが何か理由があって取り去らないのだろうかとセミナーが終わってからぼんやりと考えていた。

ぼんやりと丸一日考えて、思いいたった。もしかしたら取り去らない理由は特にないのかもしれない、と。

「性自認が男なら、姿形も男であることを望むはずだ」というわたしにとって当然と感じられる仮定も、本人にとっては押し付けられたら窮屈に感じる、他人の妄想なのかもしれない。

その場で質問しなかったので、どういう考えなのかはもう知りようがないのだけれど。


ところでわたしは、自分の姿形は女なので、女の造形はよくわかっている気になっていた。しかし20歳で初めてセックスをしてから早12年、複数の男性の造形を知るにつれ、もしかして自分でない人を含めたら、女の人の形というものには思った以上にゆれ幅があるのかもしれないと思うようになった。

それは、自分が目にする男性の形がその人その人によって様々だったからだ。そして、実際にわたしに裸体を見せてくれた男性に、同性の他人の形を知っているかと尋ねると、あんまり知らなそうである。

目にに見える姿形ではその揺れ幅は認識しやすいが、目に見えない性自認や恋愛対象、社会的規定にも揺れ幅が存在する。

そして、物理的にも精神的にもそこに揺れ幅が存在するということを頭で理解していてなお、わたしはもしかしたら現実ではその揺れ幅を認識したことがなかったのかもしれない。だからこそ、質問し確かめることが失礼にあたるのかどうか、判断がつかなくて躊躇したのではなかろうか。

当日は知っていることしか出てこないと感じた講演だったが、FTMの文野さんの現状を本人の肉声で知り、時間が経っていま一歩考えが整理されたように思う。


そういえば前述のインターセックスのハルが主人公の漫画「IS」で、「性は、白から黒へのグラデーション」という表現があった。とてもしっくりくる表現だなと感じていたし今もそう思う。

だけどそれを読んだ当時、わたしは実は姿形にかかわるグラデーションにしか注目できていなかったのだろう。

「性」というとわたしはまず第一に姿形の部分に焦点を合わせてしまうらしい。気づかず抱いていた自分のものさしが、急に見えた、セミナーから2日目の土曜の朝だった。