モテる、には2種類あると思う。

恋愛の先に、結婚を想定している人は少なくないと思うんだ。

だから、女性ファッション誌で出てくる「モテる」マルマル、のモテるの定義は、結婚相手すなわち人生の共同経営者としてふさわしいかどうかという視点になる。男性からして、自分の築き上げた財産を共有するに値する存在なのかどうか、という評価軸が入る「モテる/モテない」。


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もう1つのモテるの定義があると気づいたのは自分が結婚して、夫の経済力を基盤にしなくてもなんとか食いつないでいけるかなという希望の光?が見えてから。

それは結婚を度外視して、一緒にいたいとか話をしたいとか肌を触れ合いたいとかキスをしたいとか性交をしたいとか、そういう要望を抱かれるかどうかという基準。

そういうこころの柔らかい部分をさらけ出した行為をするに値する人間だと評価されること。ただし、経済的な保障は手放しで。

わたしは近年、そういう類のモテかたをしてるのかなと、ふと思う。


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そんなのオトコニトッテツゴウノイイオンナだよという表現はしっくるりくるようで、でもそのツゴウってなんなんだよと小さなひっかかりを感じる。

それってつまり、財産の共有権ももたずに異性と交わることは、男性にとって有利だ、ということだと思うんだ。

財産の共有権=結婚を前提にしない心や体の独占的な使用権を明け渡す(つまり恋人のポジションに収まる)ことは、男性にとってメリットがあり、女性にとってデメリットがある。

それがなんで男の都合に合わせることになるのかっていうと、「心や体の独占的な条件をあけわたすことが、すべからく経済的な保障と引き換えになるべきだ」という考えが、人々に染み渡っているからだ。

もし結婚というものが財産の共有権と完全に分離していたら、わたしたちはこんなに、その末に結婚のない恋愛関係をなじるだろうか。


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どうしてすべからく、なのか。

選ばれる女性に経済力がなかったり、あったとしてもいつかその水準を保持できなくなるタイミング(出産とか育児とか)が訪れるからではないだろうか。

結婚という心と体の所有権が、経済的な保障とセットになっている。

お金がすべて?  そんなことないよ心から愛してるから結婚するって人もいるだろうけど、それは強者にだけ口にすることが許されたロジックだと思う。

お金がなければ住む場所もない。税金も払えない。天津に留学していた同性の先輩が言っていた、「息をするだけでお金がかかる世界」にわたしたちは生きているのだから。

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感情ベースの恋愛と、財産の権利者を確定するための契約と、時には物理的な刺激で奏功する性欲の消化が、三位一体になって結婚という制度に集約されているから、わたしたちは、あるいはわたしは、かくももがき苦しむ。