人生で二度目くらい、下北沢で下車した。12年来の友人に、バーに行こうと言われたから。

道行く人の服が違う。文化圏の存在を感じずにはいられない。

小田急と京王井の頭線が通っている。京王は京王線も京王新線もあって、もうわけがわからない。

電車のなか、なんとなく読み始めたマンガが、あんまりにわたしの気持ちを代弁してくれるから、ビックリして目が離せなくて、経堂まで行ってしまう。確か一年半前に、そこのツタヤに子供の好きなキャラクターが来るからって行った覚えのある駅で、マンガを開きながらホームを降りて戻るためにまた電車に乗った。


マンガはこれ。


モテる36歳、不倫上がりの29歳(歳下だ!!!)、バツイチ子持ちの30くらいの女性3人が一緒に暮らしている。

そして嘆く。

「どうして男と女は分かり合えないんだろう!!!」

そうなの、どうして分かり合えないんだろう。他人だから違う世界、規範意識、価値判断を持っているのは同じ。だけど、同じ日本語を使っているのだから、慎重に、相手の言っている意味を検査しながら受け取れば、わたしたちは身体の形にかかわらず、理解し合えるはずではないのか??


「経済的に完成してから結婚(という制度を利用)したい男性」
「経済的な安定を目的に結婚する女性」
の対比が、特に心に残る。

わたしは、26歳になる歳に入籍した。

23区内の住まい、広い家が夫になくても結婚しただろうが、それらが自分にとってほしかったものであるというのは、紛れも無い事実だ。結婚したい相手に、自分の望むものが備わっていた。

わたしはそろそろ、経済的に自立できるかもしれない。

いま、誰と結婚したい?誰かと結婚したい?経済的に、誰かと融合したい?

融合することでわたしにデメリットが生まれるほど、誰かに経済的な恩恵を与えられる実力は多分無い。だけど、やっと誰かに経済的な施しを受けなくてもいい、そんな未来が掴めそう。

こんなときに、誰かと融合したいって思えるんだろうか。


『地獄のガールフレンド』、子供がいるから子持ちの主人公に感情移入する部分もあるけど、モテる36歳なおちゃんにも自分を重ねられる。自分が一番大事だから、自分のやり方を貫けなさそうな人間関係は整理したい、そんなところで。

そんなわたしは、少数派だから、他人から関心を抱いてもらえるんだろう。

ありえない現実、「もしも子供がいなかったら」に一瞬想いを馳せることになった。その前提だけは、いくらわたしが自由に生きていても変わらない。27歳からの人生の基本設定。


バーのミストレスに言われたのは、わたしの生き方は「行き当たりばったり」だけど「わがままは大事」っていうこと。

明日と明後日と来週は、どうやって生きようかな。