子育て開始から早5年が経過し、しかし今になってやっとたちゅごんのいなし方を会得した気がする。

今朝の登園前。
○分に出るよ、と、デッドラインの5分前を提示して急かすも、動かない。

服を着ないでソファに座っている。
荷物の準備の最後のノートが入らないとぐずる。
ポシェットは保育園についてからしようと思うけどどうかなと、若干どうでも良さそうな相談。
最後は、靴の中敷がなんかなっているのか、気持ち悪い、、と、言えばいいところを唸り声を上げている。

これまでは、

早く着替えて!
きれいに入れないから入らないんだよ!
そんなのどっちでもいいから早くして!
そんなの気にしないで早く履いて!

と、怒鳴りつけてた。

早くして欲しい気持ちを実現するため、よりも、時間に遅れるという焦りを消化するために、きつい言葉を投げかけていた。

今朝はなぜか、

時間に合わせて着替えができない赤ちゃんならママが服着せようか〜?
と機嫌よく絡んで(実際に着せてあげるとうれしそうなのだこれが)、

カバンに入らないなら今日はママが持って行くけれども?
と提案し、

先につけていってもいいと思うけど、
と意見を述べて、

靴が気持ち悪いなら直すのは保育園にして、とりあえずサンダルで行ったら?と彼の方針を尋ねることができた。
(結局、「サンダルばダメってパパが言ってたから、このままいく〜」とその靴を履いていった)

なんでだろう。
なんでわたし今までこういう行動が取れてなかったんだろう。


◼︎どんどんやめる、母親

もうこの半年くらい、朝食の準備をしていない。
夕食はチンすれば食べられるものを生協でたくさん買い込むようになった。

洗濯は、自分のもの以外を干すのは月に4回もないかもしれない。
洗濯を回しておけば、6時前に起きる夫が干している。

お迎えはほとんど行かなくなった。
朝の登園も、行きたくないといえば夫がいく。

だから、わたしは仕事をしたい時は何時まででも仕事ができるし、夕食の準備を気にして急いで帰らなくていい。

だから、自分の話したい人がいたらその人と仕事の後一緒に過ごすこともできるし、飲み会の翌日子供の朝食や登園でヘロヘロにならなくてもいい。

そういう生活をしている。

◼︎子供のためでなく、自分のための時間で人生をうめつくすこころみ

仕事のために食事の準備や洗濯という家事を放棄することは、きっと誰にも責められないだろう。

だけど、仕事の後にごく個人的な動機で確保しているプライベートな時間や、飲み会で翌日の育児と家事を放棄することを、やっぱり世間の目が許してくれない気がしていた。

世間の目という服を着せて、実はわたしが囚われている思い込みなのかもしれないけれど、どっちでもいい。

いっそ積極的に、母親であることをやめるだけで、たちゅごんと仲良くできるなら、それでいい。