いつも考えていること。

自分が伝えたいこと、は、伝えたい相手に理解できるように表現しないと、意味がないということ。

相手のモノサシに合わせて差し出さないと、こちらが伝えたいことは伝わらなくなってしまう。

たとえば日本語を全く知らない人に、日本語でいくら愛してるって言ったって、きっとそれは伝わらない。相手が「愛されている」と感じる何か(外国語の音かもしれないし、何かを贈ることかもしれないし、ただ抱きしめることかもしれない)を受け取ってもらって初めて、自分の愛してるって気持ちが伝わる、そういうものだと思う。

「相手がどう感じるか、何を理解するか」が自分の表現の絶対的な評価で、そこに自分がどういう思いを込めたかとか、どういう理屈をしのばせているとか、実は意味がないのだと思う。

だから、誰かに何かを伝えたいなら、その「誰か」の文法を知らなきゃいけない。その文法を知るために、わたしはたくさんの言葉を、何かをわかりあいたい他人と、かわし続けているのかもしれない。