わたし、あと1ヶ月と少しで32歳になります。

小学校は、転校したこともあってか、なかなか話の合う人がいないなあ。と思って過ごしていました。

中学校では、少し、人と仲良くなる方法を覚えたように感じます。

高校に入って、他人はこんなにも同じように物事を感じているんだ、と歓喜するような出会いがいくつかありました。

予備校を経て大学に入り、自分とは少し違う物の捉え方をしながらも、やはり大きなずれをなく出来事を受け止めていると感じられる友人知人との交流が多かったように思います。

卒業後、入社した会社では話の合う人がおらず、すぐにやめてしまった。その後の二社では、腹を割って話せるような人とも知り合えた。

そして昨年末に、自分にとって五社目となる今の勤務先に参加した。これまでいた小さな、あるいは古い組織で体験してきた無意味な慣習を取り払っていて、過ごしやすいと感じた。

まだまだ日本にとって異文化である中国との間に立とうとしている組織で、社員には海外から戻ってきたという方や中国生まれ、シンガポール出身、他にも外国籍の方がいるからか、とてもやりやすいと思う。

意見が違うのは当たり前という土壌があるからだろうか。

でも一方で、こうして、自分が心地よい場所にいること、つまり自分の基本姿勢を常に肯定される場所にいることで、視野を狭めたりしないだろうかと考えてしまうこともある。

いつも否定されながら生活したい、と考えているわけではないけれど、話しやすい人とだけ付き合ってしまうことで、自分と違うやり方で物事を進める人がいるのだということを認識する力が、弱まりそうだなと考えてしまうのです。

どこまでのズレなら付き合うべきなのか、いつもいつも、考えてしまいます。