昨年わたしが脱した呪いを紹介したい。

先般、「年末年始に実家や親類からかけられる呪い」(まだ結婚しないの、エトセトラ)の解き方、を紹介しているブログを読んだ。
そして今日、起業家の駒崎さんがFacebookで、NHK紅白歌合戦で演じられた「女性にかけられた呪い」について批判しているのを見て、このエントリーを投稿します。

喉から手が出るほどほしかった職歴が手に入らず、なかば現実逃避のように20代で子どもを産み(1人だけだが)、2年弱を子育てに捧げたわたしには、現状、かけられる呪いの言葉はそんなに多くはない。だけど、上記のブログや駒崎氏のコメント中の「呪いを解く」という表現にひどく惹きつけられた。

そもそも、周囲の人間(肉親から始まり、親戚から学校など所属先とその範囲を広げる)からかけられる洗脳に言及し、それを「呪い」と呼び始めたのは誰なのだろうか。
わからないけれど、少なくともわたしが初めて、洗脳のレベルで自分に植え付けられた固定観念を「呪い」と呼んでいるのを目にしたのは、田房永子さんの『呪詛抜きダイエット』だったと記憶している。

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呪いはしばしば、「わたしには○○する資格がない」という形で顔を現す。個人的には克服しやすいが、「●●できない自分はダメ」「××するのが普通」なども呪いを発動していると思う。

わたしはずっと、自分には化粧をする資格がないと思っていた。

昨年初めて、なんとなく、アイライナーを買った。ドラッグストアで目にとまり、これわたしも使えるんじゃないかなと感じて手に取った。年末にはリップ(口紅)を買った。
その瞬間には何も感じられなかったが、呪いがするりと抜け落ちた瞬間だったのだと思う。

自分にはメイクをする資格がないと、長年、なぜかそう思っていた。ファンデーションとマスカラは高校時代憧れた美人の友人を真似て買った。マスカラは化粧してる感は出ないので、やってもいいだろうと感じた。ハードルが低かった。一度アイシャドウを購入し使ったが肌になじむゴールドだけだった。

アイライナーもリップも、使ってみると、特になんのおかしさもなかった。どうして今までそれを使うべきでない、と考えていたのだろう。


昨年、やめられたことは他にもある。

子どもの朝食の準備をやめた。それは毎日わたしがやらねばならないこと、ではないと薄々気づいていた。基本は夫ということにした(実行するようになるまで時間がかかったし、リマインドしないとさぼられることも多いが。)

家での食事は夫の能力があまり高まらずわたしが準備しなければでてこないので、夫に食事の準備を期待する代わりに、自分が調理する回数を減らして外で食事をするようになった。お金はかかるが格段に落ち込む回数が減った。家で食事をせねばならない、というのもまた自分が囚われていた固定観念だと思い知らされた。それでもなお、自炊は好きだしそれを食べるのも大好きだが。

家族を置いて行く旅行に罪悪感を抱くこともやめた。そんな感覚抱くのはやめようとは思っていたが、何も感じずに旅にでられたのは産後3回目の中国訪問だった。

毎週弾くようになったから、バイオリンも買った。マトモな楽器は自分にはもったいない、と思っていた。練習さえすればそれはもったいなくないと思えた。そもそも、まともな収入もない自分は楽器を弾いてはいけないとすら感じていた。

そしてこんな風に思うことをそのまま発信する、ということへの躊躇も。「自分の思うことを他人に開示する必要がどこにあるの?」という自問は、もう浮かばなくなった。


それでもなお、「呪い」はわたしのまわりにちょいちょい現れる。子どもを産み育てていることで免れる「呪い」は数多いが、子育て中の身の振る舞いに対してふりかかる「呪い」もまた、少なくない。

断乳してから気にせず参加するようになった飲み会で、「今日は旦那さんが子どもを見ているの」と聞かれることは、もう仕方ないと思えるようになった。
(なぜ母親からだからというだけでわたしが子どもに付き添っていないとダメ、ということになるのだろう。子どもに付き添えるのは母親だけではないのに。)
幸い、転職先の飲み会でこの質問を受けることはほとんどない。

わたしはおそらく数年は子どもを産まないし(2人目は?2人いるのが子どもにとって幸せ!というのは定番の質問であり主張だ)、子育てや家事はアウトソーシングで値段がつくように無償でやるべきものではないという認識を配偶者に求めるだろう(実際に夫婦間で対価の支払いをするかどうかは別として)。そして変わらず子どもに注意を注がなくて良い状況を楽しみ続ける。

それらの行動にふりかかる周囲からの批判には、できることなら、質問者に問いかける形で返答したい。

「あなたはその常識をなんで正しいと思ってるの?」

常識だと思ってることは実は、それと違うことをしてみようと思えば、できることだったりする。


つまり、
子ども産んでも産まなくても、好きなように自分の人生、生きようぜ!
ってことです。

おしまい!!