元旦なので、2年半ぶりに利根川の向こうの実家を訪問しました。

2014年の春、無職だった自分に仕事が決まり、託児先の確保に苦戦し、実家付近であれば保育園があることがわかり、実家へサポートをお願いしたものの、交渉の余地もなく断られてから、交流を絶っていました。

息子が4歳になり、周囲の友人に祖父母がいることに気付き始めるのではないかと考えたこと、
わたしに万一のことがあった時、頼れる人が1人でも多い方が良いと考えたことから、
新年の挨拶の形で久しぶりに顔を合わせておくことがよいと考えての行動です。


母子家庭で育った母の母(つまりわたしの母方の祖母)が、わたしの生まれる数年前に他界していたこともあり、世の中祖父母は1組しかいないのが普通だと、小学校低学年まで思っていました。
息子にはいろんなケースがあることは伝えたいと思いますが、少なくとも彼には2組の祖父母が健在だ、という事実を認識してほしいと思っています。

父方の祖父母も大変に変わった人物だったので、祖父母というのはあまり普通の、つまり常識的な会話は通じないものなのだと思っていたような記憶があります。ぼんやりとですが。
(祖父母というか、老人はそんなものなのだ、と思っていました。祖父は文字が書けず、たまに電話をくれるのに「元気か」以上の会話をしたことはほとんどなかったです。ギャンブルでお金をすってしまい家財道具をうしなうような人だったそうです。)


そして、ふた回り年の離れた夫の両親の年齢はおめでたいことに90前後で、とても何かあった時に頼れるという状態ではありません。
親類だから頼れ、頼ったら恩を感じろ、と社会保障の一環を血縁関係に担わせる社会制度や人間関係は肯定したくありませんが、少なくとも息子を(良くも悪くも)気にかけている存在がいるということは彼が人生を歩む上で知っておくべき事項に思います。
わたしの都合で息子の人間関係をせばめることは本意ではないので、訪問できてよかった、と帰宅して思いました。

次回訪問は決まってませんが、時間があればまた連れて行こうと考えています。
息子と、2つ下のいとこちゃんとのやりとりも見ていて面白かったです。普段よりもしっかりして見えました。
これも平野啓一郎氏の説く分人の一種だろうな、と感じながら眺めました。



近所の方が手作りされたというおもち。
めちゃウマでした。