あなたはとても変わったひとだから、あなたのことわかるのは僕だけだ

 

というようなことを少なくとも二人の異性に言われたことがある。

 

当時は、なんか、けなされてるみたいで気分悪いな、というくらいの感想だったのだが、先日読んだ信田さよ子先生の「共依存・からめとる愛」に詳述されていた、韓国ドラマで描かれる人間関係に対する考察を読んで、なんでそんな風に感じるのか、理解できた。

 

冒頭の言葉は、一見すると運命的なことを言ってくれているようだけど、わたしはそれを信じたくないし同意もできない。だって、変わった人間かもしれないけど、わたしのことを理解してくれる人はたくさんいる。

だけど、本人は善意や好意のつもりだから、私は相手の意見を拒絶しづらい。こういう表現はやっかいだ。

 

相手を無知で判断力を欠くものとして扱い、相手の意思を自分と同じととらえることを、パターナリスティックな姿勢という。

パターナリズムは、父権主義などと訳される。本人の意思に関係なく、本人の利益のために、本人に変わって意思決定するということ。保護を与え、与えた相手に被支配を要求する関係、という意味だ。

 

当時異性からかけられた言葉は、保護とひきかえの被支配を求めるプロポーズだったのだ。数年経って初めて認識できた。
でも、言った本人にはきっと自分が保護者になろうとしている自覚はない。

世の中は、無自覚な支配が少なくない。
自分の子どもには、保護の対価として被支配の立場に立たないでいいということ、我々の関係をもって教えてあげたいと強くおもう。