洋画の字幕を読みながら、こーいう表現いいなと、幼いころからなんとなく思ってた。
今でも映画の中の男女の話し方はカッコいいしスマートだと感じるので、意識的に会話に盛り込んでいる。

どういうところをいいと感じるのか、当時はよくわからなかったけど、いまならはっきりわかる。
それは、感情や判断を伝えるセリフの一つ一つがアイメッセージでできていること。
そして事実と自分の判断が峻別されていることだ。

子どもと会話するときにも、これはなかなかやりとりしやすいと感じる。

アイはすなわちIで英語の一人称のわたし。
わたしは○○と感じてる、とか、わたしはいやだとかわたしはこうしたいとか。
そんな表現。

その反対は、
そんなことするとあなたが××になるよ(たとえば、きらわれるよ)とか、
みんなに迷惑だよ(みんなって誰だよ、そんなの関係ない…)みたいな表現。

自分の気持ちや判断を、相手にふりかかるであろう結果や、大衆の意見とみせかけて伝えている。
わたしは人とのコミュニケーションで、それを採用したくないと思う。
相手を自分の意見に同意させるための、暴力のようにすら感じる。

自分の気持ちや判断を別の表現に隠して伝えるのは、日本語という言語が、主語が隠れやすいという特徴を持っている以上、陥りやすい構文ではあるのかもしれない。
だけどわたしは、わたしの考えていることはわたしの考えていることとして明示して、良い結果も悪い結果も(たとえばそれは受け入れたくないって批判されること)、責任を持ちたいと思う。

子どもの行動にイライラするときは、今すごくわたし気持ちが焦っているわ!と伝えるし、
子どもが意地悪な言い方をするときは、その言い方は意地悪だとわたしは思うよ、と伝えている。

時間や気持ちに余裕がなくて、あせったりイライラしてるときにこそ、映画の字幕をイメージしながら話す。
頭の中で考えることも、きっちり主語をつけた文章にする。
こんなことを意識してから、少し生きやすくなった気がする。
子どもとのコミュニケーションにこまったときにも、ぜひ。