わたしが自分のペースを確保しているように、子どもにも自分の好きなペースで時間を過ごしてほしいと思う。

観察してみると、子ども自身の時間の過ごし方にも、色々ある。
そして母親のわたしがただ一緒にいることが、常に子どもの希望を満たしていることになるかというと、そんなことはないと確信している。
息子のわたしといたい欲求は、現在の生活スタイルで十分に満たされているとも感じる。


たとえば子どもが自宅で過ごしたいと考えている時。少なくとも三つのパターンが考えられる。
わたしと同じ部屋にいたいとき、別の部屋でもいいからわたしに家にいてほしいとき、
あるいはわたしがいなくてもただ自宅に居られればいいとき。

最後の一つの場合は夫またはシッターさんに自宅に居てもらうことで実現できる。(まだ一人で放置するには心配がある)

平日息子はわたしと同じく、朝と夜しか自宅で過ごさないが、同じ部屋にいなくても、好きなスペースで絵本や幼児雑誌を読んでいることが多い。

あるいはひとりでブロックを組み立てているか、絵を描いているかしている。
この場合は、出来上がったものを見せたいことが多いようで、だいたい同じ部屋にいる人に見せようとしてくる。
もちろんテレビを観るのも好きだ。何かおもちゃをながめているだけということもある。


または、外に行く場合。
わたしと出かけたいのかただ単に外に行きたいのか、行きたい場所があったり電車に乗りたかったりして外出したいのか。
外に行く場合も、わたしの同行を特に希望しないのなら、夫やシッターさんがいれば問題ない。


本人の望む時間の過ごし方を見極め、一緒にいたいというのであればその期待に(できる限り)応え、そうでなければ接触しなくてもいい。

その辺の本人の希望を汲み取ることができるので、4歳の人間と過ごすことはそれ以前よりも楽だ。

そしてその希望を聞いていると、別に母親であるわたしと一緒でないといけない、というタイミングは、そんなに多くない、と思う。

(もちろん話しかけられたら基本的に会話に応えるし、それ以上になんだか抱きしめて欲しそうだなとか話を聞いて欲しそうだなということがあれば、
わたしは手を止めて、会社に遅刻して、しゃがんで目線を合わせて、抱きしめるようにしている。)


そういえばわたしは幼い頃。
といっても、2歳年下の妹がいるので、一人ぼっちで過ごす時間はほとんどなかったと思うが。
常に母親に付き添って欲しかったかというと、そんな記憶はない。

母親が専業主婦だったからだろうか?  あるいはわたしと母の相性が悪かったから?

そうではなく、ただ、ひとりの時間を楽しんでいたんではなかろうか。
自分を無条件に肯定してくれる父親と母親がいると考えて安心して、自分で自分の身体を動かして、そして遭遇する出来事について、考えていたはず。

そんな風に身長百何十センチだった昔の自分に想いを馳せていたら、こんな遊びをしてたことを、思い出した。

いくつだか忘れたけどその頃、初めて宇宙と地球の位置関係を知った。小学校に上がる前だったと思う。
(いま思えば父はそういう、自然科学のことを教えるのが好きだった。)

自分からどんどん視界を遠ざけて行って、空の上に行って地球から離れて…宇宙からちっちゃい地球とその上のもっと小さい自分を想像した。
まぶたの裏にひろがるその視界、自分がすごく小さいと考えると、きゅうにぞわっとする瞬間が、あって。
それを味わいたくて、夜寝る前、ひとりで目を閉じて視界を遠ざけていた。遠く遠く。

わたしの息子も、そんな妄想、してるのかなぁ。
明日の朝、聞いてみよう。